3月の想い出
2018年 03月 11日
教育テレビで布作家「早川エミ」さんという方の暮らしぶりを紹介していました。
ユミさんは、アジアの手織り草木染の布で衣服を作り、全国各地で展示会を開いている一方、
ご家族と高知の山の天ぺんに住み、野菜や果物を育て、手作り的暮らし方をしていました。
ご主人は陶芸家、ユミさんは梅干しや味噌はもちろんの事、下着まで手縫いという生活に
驚きもしましたが、自然と向き合う姿勢に魅かれるものがありました。
そのころ私達夫婦は、市民農園を借りて、趣味で野菜作りをしていたので、その手作り
生活に私は好奇心でいっぱいになってしまいました。
その後、2008年に出版された「種まきノート ちくちく、畑、ご飯の暮らし」やその後の
「種まきびとのものつくり」を書店で見つけた時は、迷わず買って何度も読みました。
そして、ユミさんの暮らしに刺激され、梅干しが作れる梅の木が欲しいとかレモンや柚子の
木があったらなぁ~とわくわくしながら食べた果物の種を蒔いたものでした。
北海道ではそれらの木は育たない、と頭ではわかっていても植木鉢に種をせっせと埋めては
芽が出るのを楽しんでいましたが、鉢植えでは手におえなくなって諦めるようになりました。
この頃、野菜作りも一番夢中になって、種を売っているものは何でも蒔きました。
あの「苦い!」で有名な青汁のもとケールも山クラゲまでも育てた経験があります。
当時の私の口癖は、「山ひとつ欲しい」でした!(笑)
その早川ユミさんが札幌の街で小さな展示会を開くことを何かで知って会ってみたくなって
その展示会に行ったことがありました。(2011年)
そう、あの東日本大震災の起った年でした。
その年の2月の末に、高い所に置いてあるものを取ろうとして、つい軽い気持ちでキャスター
付の椅子に乗ってしまい、急スピードで椅子は動きだして、私は転倒してしまいました。
胸は痛むのですが、打撲だけと思い病院へも行かないで、いつもは持たない重いものを持ったり、
雪かきをしていたらどんどん胸は痛くなり、どうにもならず3月11日に病院へ行きました。
「胸骨が折れているから、1か月安静に!」と言われたときは、もう晴天の霹靂でした。
自宅に戻り、コルセットをしてソファに横になってテレビを見ていたら、信じられない光景が
次々写され、まるでドラマを見ているような錯覚を覚えながらも目を離せませんでした。
だんだん見ていると、私も津波に流され胸の骨を折った様な気持ちになってしまいました。
不安でどう対処していいのか?どうしたらいいいのか・・・・本当に起っているのか?
毎日毎日テレビから流れる震災の映像に見入るばかりで、何も手につかなかったあの日々。
放心したように報道を見守るしかなかった離れて暮らしていた日本中の人たち。
そして自衛隊が入り、世界各地から復興に向けて人々が動き出していった2011年。
早川ユミさんの展示会に行ったのは、その震災の前か後かはもう記憶にないのですが~痛い胸を
かばいながら会場に行ったことは覚えています。
ユミさんは、小柄でかわいらしい人でしたが、気おくれがして話しかけることはできませんでした。
バスに乗って会場まで結構歩いたためか、気分も悪くなってきたせいもありましたが~。
私にとって震災と骨折と早川ユミさんは、一つの記憶で繫がっていましたが、だんだん記憶も薄れ
曖昧になって~あの震災は遠い日の事のように日常から消えてしまいそうでした。
最近、ユミさんの新しい本「ちいさな くらしのたねレシピ」を見つけて買って来ました。
生きるようにくらす
わたしたちは、ほんとうは自然を生きる、生きものとしての一員なのです。
だから生きものとして、自然とともに土とともにくらすひつようがあります。
それなのに、いつのまにか生きものとしての人間でない、生きかたをしてしまっているのです。
生きものとしての人間の野性を失い、便利で、快適なくらしの文明の恩恵をうけているからです。
野性と文明はいつも対極にあります。
すべて野生にもどるのではなく、すこしだけ野性的なくらしにするのはどうでしょう。
最後のほうに書いてあったこの言葉に、胸に浸み込んできました。
便利さを追求させた私たちの欲が東日本大震災を起したとは言い切れませんが、
そう思ったこともありました。
自然を破壊した地震と津波の恐ろしさには、当事者でなくても忘れられません。
そして、一歩、一歩復興していくニュースに我が事のように喜んだり、福島産の野菜や果物を
買ったりするぐらいしか、私にはできなかった。
今日で震災から7年目。
やはり私も少しずつ震災への関心は薄れてきていました。
でも、早川ユミさんの本を手にして、あの時の恐怖が蘇えって来ました。
みんなで地球を大事にしていこうよ!一人ひとりがほんの少し地球を守ろうとしたら~
地球温暖化もほんの少し昭和の初めの暮らしに戻したら、スピードは食い止められると
聞いたことがあります。
水洗トイレも冷蔵庫もない生活は、私は耐えられません。
でも、くず野菜で堆肥を作り、それを土に戻し、小さな野菜を育てることは私にも出来る。
みんなが、自分が出来ることを見つけて、自分が出来ることで自然を守るようにしたら~
震災で亡くなった方たちも喜んでくれないかな~とそんなことを考えてしまいました。
そんなことだけでは追いつかないくらい、今の日本はおかしいと感じてしまいますが。
震災で亡くなった方たちのご冥福をお祈りいたします。
そして、今なお避難生活を余儀なくされている方々が一日も早く普通の暮らしに
戻れますように…。
小さな一歩も皆ですれば大きな一歩になりますからね
私も忘れられない思い出があるんです
大都市在住時は、市の農園を借りて野菜を作っていました。
栃木は、農家の畑が多いせいか、貸農園は見当たりません。
自宅の庭は狭く、花を植えたらプランターの置き場も無い。
野菜栽培をしたいのに、残念です。
3月11日ですね。7年前、私は携帯を握ってトイレに避難、
携帯のワンセグで、地獄絵図を見ました。
月日は流れ、娘夫婦が、来月から福島県で勤務します。
旦那さんの職場(福島駅の近く)の建物が築6年目だそうで、
ということは、7年前に・・・!?
安心して住める国になって欲しいものです。
生きてることってそういう事なのでしょうね。
一瞬一瞬の出来事が繋がって大河のように流れていろいろな人生の流れがあるのだなぁ~って読ませていただきながら思いました。
辛い震災の出来事でしたがいまだに辛い悲しい思いのかたがが多くおられ、どうしたらいいのかな?って・・。
思うだけで体は動かず 情けない事です。
誰もが畑を持つことは無理ですよね。
でも、そんな意識があるかないかでも心のどこかにあると、
もう少しみんなの価値観が変わってくれるのでは~?と
この方の本を読むたびに思います。
娘さんたちが住むとなると、余計心配してしまいますね。
でも、これからも福島産と書いたものは、買うつもりです!
最近は、どこかで地震が起きていますね~。
そんな風に言って下さると、嬉しくなりますが~ホント
平凡な主婦なんですよ。
ただ、賑やかなな所に出るのは気おくれして苦手なんです。
人嫌いではないのですが~うちの中で静かに好きなことを
しながら暮らすことの方が心地いいです。
公的年金だけで暮らしています。
高い服を買ったりとか高級レストランにいくとかの贅沢はやはりできませんが、質のいい材料で食べることで満足している暮らしです。
そんな暮らしに不満もなく、出来ることで楽しもうと思って
います。
いつ同じような震災が起こるか~地震国家の日本に住んでいるとそんな心配が常にありますね。
わが身にも起こり得ることなんだと、やはり危機感はそれなりに持っていなくては~と考えてしまう方です。
私だって同じですよ~。
でも、被害にあった土地の果物&野菜やお魚とわかると買うようにしています。
それぐらいしか、私には支援出来ませんから。
悲しい事想い出させて、ごめんなさい。<m(__)m>
胸の中に秘めておきたい場合もあるのに・・・・・。
cfc999 さんの写真の世界にすっかり魅了されています。
この頃、マクロレンズに関心を持つようになって、普段使っていない富士フイルムのデジカメに合うマクロレンズは
どんなのか調べたら、別のレンズを付けられないカメラの
ようで~まずこれでマスターしょうと考えたところです。
前に持っていたのも富士フイルムで、これは壊れたのですが
別売り広角レンズを付けられたから、今のも出来ると思い
込んでいました。
カメラについてもっと知ろうと思ったのは、cfc999 さんの
ブログを拝見してからです。
ありがとう。感謝してます。(^o^)/