2018年 09月 10日 ( 1 )

地震その後2


余震が続く中、叔父(去年亡くなった義父の妹の連れ合い)の葬儀が一日遅れであって、果たして
出来るかどうか心配したが、昨日無事に終わることが出来た。

お通夜が終わって、タクシーで自宅付近までくると道が光で溢れているのに気が付いて安堵した
ものの~こんなに電気を使っていいものか~という疑問も感じた。

その日は、まだ日中は一部の信号しかついていなかった。

地震のあった日、朝6時に電池を買いにコンビニに走ったことは前に書いたが、何かしていないと
落ちつかないので、ジャガイモ団子でも作ろうかと思ったが、片栗粉が切れていたのに気がついた。

それで、お昼頃又コンビニに行ってみることにした。

外に出ると、いつもは見なこともないほどの人数のリュックを背負った人達がぞろぞろ歩いていて、
「このコンビニが開いている!」と言いながら走ってお店に入って行くのを目にして驚いた。

店内に入ると長い列の人がレジの順番を待っていた。

棚は殆ど空で、片栗粉は1個だけ残っていたので助かった!

ジャガイモは沢山ある、バターをつけて食べてもいいしと沢山茹でたが、茹ですぎてべちゃべちゃ
になってしまったので、全部「ジャガイモ団子」にして2個づつ袋に入れて冷凍しておいた。

停電が続いても、パンがなければこれで大丈夫、とまだ気持ちに余裕が残っていた。



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その日は電気が使えないので土鍋で早目にご飯を炊いた。

丁度前の日、台風の後片付けで疲れたのでスーパーの鰻を1匹買ったのが半分残っていたので、
小さく切って食べるころ蒸し器でご飯と一緒に蒸かして、キュウリの塩もみを加えてひつまぶし風に
して食べることにした。

糠ニシンも1本買ってあったので、野菜は自家製が沢山あるからそれを使って三平汁にして
おけば2~3日大丈夫と慌てず用意できた。



しかし、野菜はあるけれど魚・肉は他に保存していなかったので、あした買えるかどうか
心配しながらも停電も半日くらいで片がつくと考えていた。

テレビが見れないので情報源はラジオだけ。

だんだん停電の回復が遅れるらしいとラジオで聞いたときは、もう夕方になっていた。
明日食べる物どうしたらいいかな~?と心配しながら、私は早目に布団に入った。

電気のブレカーを切っていたので停電解除に気がつかず、ご近所さんから「電気がついた
よ~」と声がかかり、夜の8時過ぎには電気がついたことを後で知らされた。

翌日の午前中、いつも行くスーパーに行くと、店内は入れず、店頭でわずかな商品が
売られていただけだった。

玉子が切れていたので1ケース買い、バス停に行くと運休の張り紙がしてあったので、
随分迷ったが生協迄歩いて行ってみようと覚悟を決めた。

ゆっくり歩いて生協に着いたら、外まで長い列が続いて、私を見ると男の人が近づいてきて、
「もうこれ以上は終わりです!皆さん朝早くから並んでいたのです」と言われた。

ああ、見通しが甘かった!

帰り道、お弁当屋さんが開いているので覗いてみたら、予約したら3種類のお弁当は買える事が
わかったので、鮭弁当を予約しておいた。

ま、卵が買えたから夜は「卵どんぶり」でも作ろうと、お昼ご飯も確保したからと時々雨が降る
中をゆっくり歩いて帰途についた。

戦争中も戦後もしばらくは、こんな風だったのかなぁ~と思い乍、車を出すという夫に歩く方が
小回りが利くから~と姑のこともあるので一人で来たが、歩く方が情報が得やすいと思った。

お弁当をとりに行った帰り道、下げていた袋を見て「お弁当屋さん開いているんですか?」と30代
くらいの女性が必死な顔をして聞いてきた。

11時頃予約して買って来たのですが、2時半くらいまで食材が無くなったらお店は閉めると言って
ましたよ、というと急いで走って行った。

とここまでが、地震が起こった翌日までの話です。

昨日の夕方、平常通りに営業しているスーパーもあって魚もお刺身もあった、と娘から聞かされ
た時は、本当にホッとしたものです。
同じ系列のスーパーが普段あまり行かないけれど、近くにあったのです。

私達の日常が少しずつ普通に戻って来ました。

でも、大きな災害を受けて、家が壊れ避難所暮らしの方々がいると思うと手放しでは喜べ
ませんが、普通の暮らしがどんなに有難いか身に沁みました。






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by miqu_7cd | 2018-09-10 05:49 | 雑感